2006年10月03日

忍者を語る 〜歴史編〜

忍者を語る第二弾です。

妖怪や幽霊と違い、忍者は歴史上で確かに存在しているので、「怪奇現象はプラズマなのだー!」とかそうゆうのとはまた別です。
ただ、現代に当時の忍者のようなものは存在していない為、憶測が多少はあるのはご了承ください。
ちなみに、現代の忍者=グリーン・ベレー/SWAT/SAS/モサド/陸軍自衛隊特殊部隊/警視庁TRTあたりです。
身のこなしとか忍術とか使うわけではないけど、その特殊任務内容がまさに忍者の仕事に似ているのです。

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忍者・忍術の歴史は当然のことながら日本が起源です。
そして前に触れたように、孫子の兵法の用間から生まれています。

忍者といえば、だいたいの人が連想するのが
・類稀なる身のこなし
・何十メートルも跳躍する
・手裏剣を使う
でしょう。
他にも
・両手に刀を持つ=二刀流
・分身する
・口や手などから火や雷や水などを出す
・でっかい蛙とかを呼ぶ
・人の技をそっくりコピーする
・車より速い駆け
ぐるぐるほっぺである(ハットリくん)
とかでしょう。
少なくとも、二刀流以下の事柄は 漫画や空想小説ゆえのもので実際あんなことできたわけじゃありません。
ぐるぐるほっぺの忍者はいたかもしれないがw

そんな、人によっていろんな像をもたれている忍者ですが、侍に並ぶ日本の伝統の一つです。

侍や忍者のような日本の伝統といえば・・・?
そう、他にもあります。

それは、天狗と修験者。
修験者は形を変えて今でもいます。
アレです、白い衣を纏い笠を被って錫杖持って、「リン・・・リン・・・」ってな感じで山を歩く人たち。

天狗は日本古来からある妖怪の一種です。
これはもう言うまでもないでしょう。

天狗も修験者も山に住んでいます。
いわゆる山伏の類です。
そして忍者も山に住んでいました。
これらはイコールで繋がります。

役行者」 とゆう人はご存知でしょうか?
「えんのぎょうじゃ」と呼び、役小角と称される人です。
大化の改新あたりをモチーフにしたあらゆる作品にだいたい名前ぐらいは出てきます。
この役行者は、半僧半俗、五色の雲に乗って自由に空を飛び、海を走り、前鬼(ぜんき)・後鬼(こうき)ふたつの鬼神を使役したと記されています。
現代人から見れば、まるで漫画のキャラクターです。

この「役行者」に代表される修験者、ひいては修験道、そして天狗から忍者が生まれています。
修験者は、日本固有の山岳修験道と呪術性の高い密教を結びつけ、孫子の兵法や杖術を組み合わせることによって独自の兵法を生み出しました。
変幻自在な身のこなしや、敵の力を利用し素手で敵を倒す(柔よく剛を制す)とゆうのも修験道からきています。
つまり、「柔術」も起源はココです。

修験道はとどまることを知らず
独自の術を編み出します、それが忍術
そして、陰陽師の代表格「安部清明」が統合した日本の陰陽道をも兵法に取り入れます。
兵法・武術・呪術・陰陽道・忍術、古来日本においておよそ全ての術を取り入れ昇華したのが山伏兵法
そして、その中の忍術を独自に取り入れ専門技術とし、より昇華させていったのが伊賀甲賀忍術です。

そして、山伏は古来より天狗を崇拝しています。
天狗といえば、身の丈10尺(1尺=30.3cm、およそ3メートル)で鼻が非常に高く体躯も頑強、身のこなしが素早く、背中には翼が生えている とゆうのが一般的です。
天狗は一種の妖怪です。
鞍馬山天狗と呼ばれるものもおり、それらは鞍馬山のどこかに居ると言われていますが、恐らく鞍馬山の、つまり天上にいるともされています。

山伏は天狗を崇拝している、そして天狗は身のこなしが人のそれを遥かに越えている。
山伏達は崇拝する天狗の技術を独自に修練し、人界では類稀なる体術を会得します。
修験道と天狗は結びついており、その結びつきの中から忍者が発生しています。

余談ですが、天狗は飛べると錯覚している人が多いのですが(翼あるから)
実際は飛べないとされています。
某航空力学者が 「あの翼の構造では飛行に耐えれない」と断言しました。
おまえ実物見たんかい!? とゆうツッコミはやめておきましょう。
ただ、これは一理あり、飛べると思われてしまうのは翼がある見た目で木々をピョンピョン飛び跳ねていくその姿は飛んでるように見えなくもないので、飛べると思われても仕方ないでしょう。

続いて、忍者といえばこの二つが出てくるであろう
「伊賀・甲賀」についてです。


現代ではだいぶ様相も変わってしまっていますが、伊賀も甲賀も当時は険阻な山に囲まれていました。
「出るに容易く、守るに堅い」 まさに天然要塞です。
そして、京・奈良に近く東国への通り道でもある要所に位置していました。

つまり、中央の権力争いの戦火が及ぶ恐れが高く、それにより伊賀・甲賀共に自衛力を固めていきました。

伊賀・甲賀の人々は元々は農民です
しかし、かつて役行者の修行場であった天狗岳が近く修験道の修行場もその土地柄の関係上近くに多数あり、山伏兵法・忍術を体得していったのは想像にかたくない。

そして、源平(源氏と平家)の勢力争いが拡大していた平安時代末期頃に、忍者の需要が増え始めました。
もうこの頃には忍者とゆうものが台頭していたともとれます。

のちの甲賀二十一家のひとつ、望月家の先祖「望月三郎」が忍者の祖といわれた。
この人は平将門(たいらのまさかど)の乱で活躍し、のちに甲賀の郡司となり、伊賀を合わせて支配したとされています。
そして江戸時代には「甲賀三郎伝説」と、歌舞伎に取り上げられ全国的に有名になりました。

また、同じ頃活躍した忍者に「伊勢三郎」がいます。これまた三郎です。
元は山賊だった伊勢三郎ですが、最近なぜか注目されている源義経(みなもとのよしつね)と出会い、のちに武蔵坊弁慶と並び「義経四天王」の一人となりました。

さらに、伊勢三郎と同時期に平知盛(たいらのとももり)に仕えた服部平内左エ門家長がいます。
服部は情報収集ネットワークに長けていました。

この時期に、甲賀・伊賀・服部と有名な忍者の姓が台頭しています。

甲賀には火薬製造に長けた人々が集まる油日の里があり、狼煙などを使い独自の遠隔通信網を使い、その火薬技術と武器を巧みに使い独自の戦術を身に付けていきました。
いつの時代もスペシャリストを味方のみに抱えるとゆうのは多大なアドバンテージがあります。

そして戦国時代。
現代を生きる人々に忍者が活躍した時代は? と聞けばこの時代が出てくるぐらい有名。
戦国大名達は、間者としても優れ、ゲリラ戦術にも優れ独自の技術を持っている忍者達を競うように雇い入れました。
早くに忍者の有用性に気づき、伊賀・甲賀二百数十名を雇い入れた徳川家が最終的に天下統一したのも忍者の重要度を示しています。
そしてこの戦国時代が、最も忍者が活躍した時代です。

100年余りも続いた戦国時代に終止符を打つべく、天下統一に乗り出した織田信長
戦国魔王と現代でも呼ばれる信長にとって、伊賀・甲賀は目障りな存在でした。
ちなみに信長勢に忍者は殆どおらず、鉄砲部隊が有名なように近代兵器寄りなのが信長でした。
そして天正9年(1581年)、四万数千の大軍を率いた織田信長は伊賀へ攻め込み、容赦ない大殺戮を行った。まさに魔王です。
第二次天正伊賀の乱」です。
この乱で生き延びた忍者は全国へ散り、各地の藩に召し抱えられました。
ここがポイントなんですが
四万数千の大軍の攻撃からも生き延びれる術を忍者は持っていたとなります。

この時代、忍者を有効活用したのは徳川家康ただ一人
情報収集をはじめさまざまな任に就かせていました。
そして「徳川には過ぎたるもの」と称される戦国最強武将 本田忠勝。
まぁ、なんつぅか天下とって当たり前な徳川家。
 長い歴史の中で、隣接する国や武将たちの情報を収集し、天下はどう動き、誰につけばいいのか
常に先を見通して行動する忍者たちは、家康が天下人になるであろうと読んでいたのかもしれません。
 ちなみに、裏切り・下克上の代名詞としてかの有名な1582年「本能寺の変
この際、明智光秀によって窮地に追い込まれた家康を救ったのは他でもない伊賀・甲賀の忍者たちでした。
そしてこの時家康の護衛にあたった忍者は残らず徳川家に召し抱えられ・・・
ここに現代においても忍者の代表格的として有名な彼がいました。
それは
服部半蔵 です。
服部半蔵は伊賀同心組頭の地位につき、徳川忍軍筆頭となります。

徳川家に仕えていた兵法指南役の柳生家。
柳生十兵衛などが有名ですが、その中でも政治的にも手腕を発揮した柳生宗矩(やぎゅうむねのり)。
家康は諸大名の動向を探るために忍者を組織化したが、宗矩は隠密の頭領として、配下の伊賀・甲賀衆を全国に放ち、情報収集に努めていました。

そして、徳川が天下をとり、寛永年間には幕府は公儀隠密を組織。
思想警察とでもいうべき任についた忍者は大名たちを厳しく監視しました。
また、奉行所や京都所司代の配下で犯罪の捜査を行ったり、江戸城の警護につく者もいました。
まさに現代の警察のような仕事です。

太平の時代の訪れとともに、忍者たちの仕事は情報収集が大半を占めるようになり、長い間培ってきた忍術を存分に発揮する場は、ほとんどなくなっていきました。

そして、現代へと続く歴史の流れの中で、忍者はその存在が希薄になっていき、やがて兵法のみが残るような状況になりました。
戦なくして活躍の場無し、です。
現代忍者(に該当する者)においても、寛永の公儀隠密のような仕事が主です。

【おまけ】
[伊賀・甲賀の相違点]


簡単に表すと
伊賀流は個人技中心(隠密技に長ける)
甲賀流は組織的に動く(集団戦に長ける)

伊賀と甲賀は山一つ隔てた位置関係にあり、ほとんど同じ国のようなものである。
生活ぶりや主だった戦法、忍術技法などはまったく同じでありながら、なぜか異なる流儀であったとされています。
これは、京に近い甲賀が文化・生活水準が多少高いことから、甲賀忍者達が自分たちのほうが格式が高いと異を唱えたのが発端といわれています。
こう見ると、忍者とて人間よのぉ(´ω`)  とか思います。

偵察・諜報のため敵方へ忍んでいた忍者が持ち帰った情報をもとに、甲賀流は一丸となって敵を攻撃する。
この団体襲撃計画の歩調を乱す者はたとえ血縁者であっても、血をもって制裁するほど結束力は硬かったようです。

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次回は 「忍者はどんな組織にいたのか?」 です。
乞うご期待!?

参考文献
 忍者の歴史 奥瀬平七郎 著
 別冊歴史読本・伊賀甲賀忍びのすべて
 忍秘伝
 DEAD OR ALIVE Ultimate 取り扱い説明書(ノ∀`)どんどんどん!オチで〜す!どどんどどん!ベタで〜す!
posted by ヴァレぴよ at 18:34| 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 忍者マメ知識 (史実) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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