2006年10月03日

忍者の生活と訓練

今になって思いだしたのはですね、先日レンタルビデオ屋でたまたま目に入った
チアガール忍者」とかゆうB級・・・C級かもしれない・・・ぐらいの洋画が発端ですw
どこをどう取っても、外人が曲解した忍者像でネタ映画を作りました、でしかないので観てませんが、ちょこっとググってみたところ、マニアックな人気があったようです、ネタとして。
こりゃ観とくべきかな・・・w

チアガールやヴァナディールの忍者などではなく、ここで語るのは史実の忍者

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以前にも述べたとおり、忍者は農民です
農作業を終えた彼らは、その後に忍術の鍛錬をしていました。

「伊賀忍者は毎日早朝より昼まで農工商の仕事に精を出し、午後から日暮れまで武芸弓馬を研究し、古来より伊賀の遺風である忍術を鍛錬していた。
忍術を使えばいかなる要害といえども突破できないものはない

と、あります。
事実、ここから先に書いていく忍びの特殊技能を会得したとすると、突破できないものはありません。

武芸全般に言えますが、根本的に大事なのは修行に耐えるだけの心身の訓練。
これが必要不可欠です、この心身訓練が農作業であったとゆうことです。
体験程度でも農作業をしたことがある人はわかるかと思います。あれはけっこう辛い。

生活はこのあたりで一旦きりましょう。

続きに、忍者独特の体術。
例えば天井張り付きとか遠見とか、そのあたりのことを書きます。 
荒唐無稽な体術ではないです
posted by つねぴよ at 18:40| 🌁| Comment(2) | TrackBack(0) | 忍者マメ知識 (史実) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

忍者を語る 〜組織編〜

みなさ〜ん、忍んでますか〜!?
「忍び」とはすなわち、「耐え忍ぶ」ことも現す為
現代社会で生きる人達は、みな忍びであります。
会社組織はもとより、学生でも部活やサークルやクラス内、主婦でもご近所付き合いとか家庭管理とか・・・
現代は耐え忍ばないといけないことだらけでございます。

でもそんな生活に慣れているのも現代人の特徴。とゆうか慣れないとやってけれない現実。
これもひとつの忍道、と。
では、本題です。

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今回は忍者の組織形態についてです。

忍者衆は基本的に大名勢力の直接的な配下にはなりません
下請け業者のようなもので、大元の会社(大名家)から仕事の依頼を受け、その仕事の任にどの忍者を派遣するかとなります。
アウトソーシング業のようなものですね。

よって、着目点は忍び衆の組織そのものとなります。

まずは甲賀忍者。
甲賀衆は、親子兄弟などの血縁で「同名中惣(どうめいちゅうそう)」を成し、一つの家とします。
これが53家あった為、甲賀五十三家と呼ばれていました。
後に記載する伊賀忍衆には「上忍」「中忍」「下忍」と階級分けがありましたが、甲賀五十三家は全て中忍の立場でした(伊賀と比較しての記述であり、実際は階級そのものがない)
よって、重大会議でも五十三家の長全てが集まり、合議を重ねていました。
この53家の中でも力のある21家は「郡中惣」と呼ばれ
「甲賀はひとつの家族であり、これを乱す者はたとえ親兄弟であっても殺す」とゆう鉄の掟を作りました。
これがまかりとおるぐらいに横の結束力が高かったのが甲賀衆です。

次に伊賀忍者。
伊賀も甲賀と同様に血縁の一族が党を作り、それぞれに惣村を形成して外敵から自衛していました。
その惣村の間で「伊賀惣国一揆(いがそうこくいっき)」という同盟を結び、連合体としての関係を築いていました。

いわば、甲賀も伊賀も独立した国のようなものであったのです。

伊賀忍者の組織は甲賀と違い、「上忍」「中忍」「下忍」があり、大将であり優秀な技術指導者でもある上忍がそれぞれ配下の忍者を育成・統率していました。
伊賀も甲賀ももとは農民です。
その中で「上忍」となるには当然資質が必要です。
伊賀も甲賀もその土地に住み着く侍、すなわち「地侍」がいました。
元々の刀使いの素質や経験に忍術が加わった為、地侍のほとんどが上忍でした。
特に 「藤林長門守(ふじばやしながとのかみ)」「百地丹波守(ももちたんばのかみ)」「服部半蔵(はっとりはんぞう)」の三人は「三大上忍」と呼ばれ、伊賀にいる忍者全てを分轄していました。

上忍は堅固な屋敷や小城に住み、素質のありそうな3~4歳の百姓の子を買い、忍者として育成していました。
こういったある種の人身売買も当時は当たり前だったのでしょう。
そして諸国の大名から依頼を受け、そうして育成した下忍を派遣していました。
 中忍は下忍を束ねる中隊長のような立場であり
上忍からの指示を中忍が受け、中忍がどの下忍をどの任につかせるか・・・といった命令系統でした。
この伊賀のヒエラルキーにおいて、下忍の稼ぎの8割は上忍にいくとゆう、庄屋と小作人のような構造でした。
下忍は自身のこなす任務が情勢をどのように変えるかなどは考えず、ただ指示に従い確実に任務をこなすのみとゆうプロフェッショナルでした。

任務の中には、国ひとつが滅ぶような重大なものもあり、そういったものは上忍が会議し、場合によっては上忍自ら任務にあたるといったこともありました。
本能寺の変の徳川家康護衛が最たる例でしょう。

伊賀は、上忍が管理統括し諸大名からの依頼をこなす
甲賀は、諸大名からの依頼を各家総出で合議し依頼をこなす
こういった組織構造でした。
忍者は私利私欲で通貨を使うことはなく、また類稀なる力を持ってはいても野心は抱かず、全ては伊賀・甲賀の里の自衛や存続の為でした。

仮想物語によくある、伊賀忍者と甲賀忍者の対立や対決などはまずありませんでした。
名前は違えど同じ国のようなものですからね。

これにて組織編は終了です。
次回は 「忍者の生活と訓練」です。
忍びの走法や跳躍力、天井に張り付いたりなど、全てはこの訓練と生活から生まれています。

参考文献
 今まで出たもの(ノ∀`)
posted by つねぴよ at 18:35| 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 忍者マメ知識 (史実) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

忍者を語る 〜歴史編〜

忍者を語る第二弾です。

妖怪や幽霊と違い、忍者は歴史上で確かに存在しているので、「怪奇現象はプラズマなのだー!」とかそうゆうのとはまた別です。
ただ、現代に当時の忍者のようなものは存在していない為、憶測が多少はあるのはご了承ください。
ちなみに、現代の忍者=グリーン・ベレー/SWAT/SAS/モサド/陸軍自衛隊特殊部隊/警視庁TRTあたりです。
身のこなしとか忍術とか使うわけではないけど、その特殊任務内容がまさに忍者の仕事に似ているのです。

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忍者・忍術の歴史は当然のことながら日本が起源です。
そして前に触れたように、孫子の兵法の用間から生まれています。

忍者といえば、だいたいの人が連想するのが
・類稀なる身のこなし
・何十メートルも跳躍する
・手裏剣を使う
でしょう。
他にも
・両手に刀を持つ=二刀流
・分身する
・口や手などから火や雷や水などを出す
・でっかい蛙とかを呼ぶ
・人の技をそっくりコピーする
・車より速い駆け
ぐるぐるほっぺである(ハットリくん)
とかでしょう。
少なくとも、二刀流以下の事柄は 漫画や空想小説ゆえのもので実際あんなことできたわけじゃありません。
ぐるぐるほっぺの忍者はいたかもしれないがw

そんな、人によっていろんな像をもたれている忍者ですが、侍に並ぶ日本の伝統の一つです。

侍や忍者のような日本の伝統といえば・・・?
そう、他にもあります。

それは、天狗と修験者。
修験者は形を変えて今でもいます。
アレです、白い衣を纏い笠を被って錫杖持って、「リン・・・リン・・・」ってな感じで山を歩く人たち。

天狗は日本古来からある妖怪の一種です。
これはもう言うまでもないでしょう。

天狗も修験者も山に住んでいます。
いわゆる山伏の類です。
そして忍者も山に住んでいました。
これらはイコールで繋がります。

役行者」 とゆう人はご存知でしょうか?
「えんのぎょうじゃ」と呼び、役小角と称される人です。
大化の改新あたりをモチーフにしたあらゆる作品にだいたい名前ぐらいは出てきます。
この役行者は、半僧半俗、五色の雲に乗って自由に空を飛び、海を走り、前鬼(ぜんき)・後鬼(こうき)ふたつの鬼神を使役したと記されています。
現代人から見れば、まるで漫画のキャラクターです。

この「役行者」に代表される修験者、ひいては修験道、そして天狗から忍者が生まれています。
修験者は、日本固有の山岳修験道と呪術性の高い密教を結びつけ、孫子の兵法や杖術を組み合わせることによって独自の兵法を生み出しました。
変幻自在な身のこなしや、敵の力を利用し素手で敵を倒す(柔よく剛を制す)とゆうのも修験道からきています。
つまり、「柔術」も起源はココです。

修験道はとどまることを知らず
独自の術を編み出します、それが忍術
そして、陰陽師の代表格「安部清明」が統合した日本の陰陽道をも兵法に取り入れます。
兵法・武術・呪術・陰陽道・忍術、古来日本においておよそ全ての術を取り入れ昇華したのが山伏兵法
そして、その中の忍術を独自に取り入れ専門技術とし、より昇華させていったのが伊賀甲賀忍術です。

そして、山伏は古来より天狗を崇拝しています。
天狗といえば、身の丈10尺(1尺=30.3cm、およそ3メートル)で鼻が非常に高く体躯も頑強、身のこなしが素早く、背中には翼が生えている とゆうのが一般的です。
天狗は一種の妖怪です。
鞍馬山天狗と呼ばれるものもおり、それらは鞍馬山のどこかに居ると言われていますが、恐らく鞍馬山の、つまり天上にいるともされています。

山伏は天狗を崇拝している、そして天狗は身のこなしが人のそれを遥かに越えている。
山伏達は崇拝する天狗の技術を独自に修練し、人界では類稀なる体術を会得します。
修験道と天狗は結びついており、その結びつきの中から忍者が発生しています。

余談ですが、天狗は飛べると錯覚している人が多いのですが(翼あるから)
実際は飛べないとされています。
某航空力学者が 「あの翼の構造では飛行に耐えれない」と断言しました。
おまえ実物見たんかい!? とゆうツッコミはやめておきましょう。
ただ、これは一理あり、飛べると思われてしまうのは翼がある見た目で木々をピョンピョン飛び跳ねていくその姿は飛んでるように見えなくもないので、飛べると思われても仕方ないでしょう。

続いて、忍者といえばこの二つが出てくるであろう
「伊賀・甲賀」についてです。

伊賀甲賀の忍者の歴史
posted by つねぴよ at 18:34| 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 忍者マメ知識 (史実) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

忍者を語る 〜源流編〜

史実の忍者の話です。
役にはたたないが、話のネタぐらいにはなるかもしれませぬな。

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まずは忍者の源流から書きたいと思います。

「孫子の兵法」とゆうものはご存知でしょうか?
紀元前500年頃に中国の呉王コウリョ(漢字わからんw)に仕えた兵学者「孫武」が記した世界最古の兵法書のことです。
世界最古であり、現代でも孫子の兵法の戦術論が生きています。
それだけに戦争とゆうものにおいて完成された兵法書であります。
現代の戦争はコンピューターやネットワークや衛星などを使い、当時よりは技術が進歩していますが、根底には孫子の兵法があります。

「孫子」は13篇から成っていて
「始計」 「作戦」 「謀攻」 「軍形」 「兵勢」 「虚実」 「軍争」 「九変」 「行軍」 「地形」 「九地」  「火攻」 「用間」 です。
 一言で言うなれば、孫子の兵法は戦いに勝つ為の必勝論です。
一応書きますが、戦い=武力戦争だけではないです、ビジネス界も社交界もスポーツ界も戦いです。
戦争とゆうものは、単純に兵と兵がぶつかり合うだけの単純なものではない。
そこには政治や経済、果ては宗教までが複雑に絡んでいます。

日本の戦国時代でも孫子の兵法は活かされており、武田信玄が掲げた「風林火山」は孫子の兵法の中にある言葉です。
ちなみに、現代のビジネスにおいても孫子の兵法は活かすことができます。
武力がぶつかり合うわけではないが、現代ビジネス界も戦争です。
例えば、「風林火山」。これは現代ビジネスにも適用されます。

その疾(はや)きこと風の如く
その徐(しず)かなること林の如く
侵掠(しんりゃく)は火の如く
動かざることは山の如し
知り難きこと陰の如く
動くこと雷の如し

兵を知る将は民の司命なり
始めは処女の如く、後には脱兎の如し

古文的なので、少々理解しづらいかもしれませんがビジネスに変換がどれも可能です。
主に経営側ですけどね。

「彼を知り、己を知れば百戦危うからず」 とゆう言葉も知ってる人が多いと思います。スポーツでは基本です。
これも起源は孫子からきています。

ようやく本題に触れ始めますが、この「彼を知り、己を知れば百戦危うからず」が戦争においてのキモです。
ただ適当に攻めたって、兵を無駄に消耗したりするだけです。
よって「彼を知り」の部分に孫子の兵法「用間」篇が適用されます。

「用間(ようかん)」を大まかに言えば、スパイを用いるです。
昔で言えば「間者(かんじゃ)」
現代武力戦争・現代ビジネス戦争においても、間者は勝利の鍵です。(武力は・・・核かも・・・)

続きから本題になります。忍者の源流とは
posted by つねぴよ at 18:30| 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 忍者マメ知識 (史実) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする